2024/08/10

世界レベル、私が出会った異色の宝石商のエピソード【第1話】

世界を魅了するジュエラーたち - 驚異の商才と信念の物語

ジュエリーの世界は、きらめく宝石と、それを彩る人々の情熱で溢れています。

今回は、私が30年以上かけて出会った、世界を舞台に活躍する三人のジュエラーの物語をご紹介します。

彼らの異色の才能と、揺るぎない信念は、私の人生に大きな影響を与えました


1. タヒチパールを操る男 - 相場を操る型破りな戦略



32年前、私はある取引先の社長と出会いました。彼は、当時から異色の才能と発想力を持っていた人物でした。

当時、彼は在庫に抱えていたタヒチの南洋黒パールを売るのに苦労していました。そこで彼は、大胆な戦略を思いつきます。

なんと、タヒチの近くにあるクック島にあるタヒチパールをすべて買い占め、しかも、わざと法外な高値で買い占めたのです。

この噂が瞬く間に広まり、タヒチ島のパールの値段が高騰。その相場が世界中に広がり、元々持っていたタヒチパールの大量の在庫を予定よりはるかに高い値段で売り切ることができたのです。

常識的に考えれば、まとめ買い占めをするなら、とことん安く値切って買うのが普通です。しかし、彼は逆の発想で、わざと高く買って、その地域の相場を吊り上げて、自分の持つ大量の在庫で儲けるという型破りな商法を考え出したのです。

私は彼のこの行動に驚きを隠せませんでした。

また、ある日、彼はダイヤモンドをリカットしていたとき、偶然にダイヤモンドの中にクロスが現れていることに気づきました。

「これを商標登録しようかと考えているんだけど、どう思う?」

その日、彼は私に尋ねました。私は、その面白い発想に感銘を受け、「やった方がいいと思う」と答えました。

それが後にクロスフォーと呼ばれるダイヤモンドのカットになり、世界的ブランドになったのです。

普通なら、たまたま偶然の面白いできごとで終わらせてしまうところを、彼は深い洞察でビジネスに繋げたのです。

彼は、まさに、素晴らしい才能の持ち主でした。


2. 貧困から世界を掴む - 誠実さと努力の結晶


世界最大のダイヤモンド会社の一つ、HKエクスポートの創始者は、インドの貧しい家庭に生まれ、読み書きを学ぶことができませんでした。そのため、なかなか仕事につけませんでしたが、数を数えることができたので、小さいダイヤモンドの数を数える仕事につきました。


しかし、彼は正確に、そして早く仕事を仕上げることができたため、徐々に認められ、少しずつレベルの高い仕事を与えられました。

彼は、それを常に完璧に、休みなく仕上げていき、誰よりも長く、誰よりも働き、努力したおかげで、20歳ぐらいには独立し、年々会社を大きくし、やがて世界最大のダイヤモンド会社の一つにまで成長させました。

彼は、自分が下積みから成功を掴んだので、誰に対しても公平に接し、評価する尊敬される経営者となりました。

ある時、ボーナスに600台の高級車を社員にプレゼントし、それが大きく報道され、世界の人々に知られることになりました。

その後も、600人に家をボーナスとしてプレゼントしたり、得られた利益を皆に分配したので、インドでは英雄として崇められています。

私が彼のダイヤモンドのカッティング工場を訪れた時は、創始者本人が歓迎して迎えに来てくれましたが、周りの人々が次々と彼の足元に跪き、足に触れていくという、インドでは最高の敬意を示すやり方を示しました。

そういう光景を見たことがなかったので、どれほど尊敬、敬愛を受けているのか、見ていて良くわかりました。


3. 信念の強さ - 値引きを拒否したジュエラー


私は、まだ日本人が誰もドバイのジュエリーショーに出ていないような30年前に、香港の会社と一緒に国際ドバイジュエリーショーに出展しました。

彼は、とても用心深く、荷物は預けず手荷物で乗り込みましたが、夜中の3時頃にトイレに行くからといって、私を起こし、上の収納棚にしまってあるスーツケースを見張ってくれと頼んできました。

真っ暗で、乗客は皆寝ていますし、わざわざ上の棚を開けて、それも、何が入っているかもわからない小さなスーツケースを盗むなんて、どう考えてもあり得ません。

それを真剣な顔で私に頼むので、ここまで用心する人は、失敗する可能性の少ない人物なんだろうと思いました。

ドバイのショーでは、私の商品は連日良く売れましたが、彼の商品は全く売れず、それも5日間で彼の売上はゼロでした。

私は、自分が数千万円は売っていたので、彼がかわいそうに思い、最終日は少しでも売れるように手伝おうと、必死に彼の商品をお客様に勧めました。

が、それでも売れず、とうとう最終日のショーの終わりの音楽が流れてきました。

私は商品を片付けていたときに、一人の客が彼の高額の商品を見にきました。

彼が席を外していたため、私が接客しましたが、もう最後なので、値引きしてくれと言ってきました。

お客様の言い値は、まだ彼の商品に十分利益のあるものだったので、あーー、やっと最後の最後に売れたと思い、とても嬉しかったのです。

ところが、戻ってきた彼の一言に驚きました。

値引きを断ったのです。

最後のチャンスであり、そして十分な利益があり、ドバイまで来た経費や時間や努力がすべて報われる最後のチャンスなのに、断ったのです。驚きました。お客様は帰ってしまいました。

何故???、わかりませんでした。

彼は、一生懸命作った商品だから、そんな値段で売りたくないのだと、言いました。

しかし、一緒に暑い中、頑張ってきたのに、それを断るなんて、私にはとてもできないと思いました。

ところが、半分以上片付けていたときに、もう一度、その客が戻ってきたのです。

そして、その客は意地になっていました。

では、2本買うから、値引きしてくれと、いいました。

私は、これこそラッキーだ、本当に良かった!と思いました。
ところが、ところが、彼は、これさえも断りました。
私はもう、信じられない思いでした。

しかし、とうとう奇跡が起きました。

お客様は怒って、ではこれもこれも、これも、まとめて3本買うと言いました。
高額な商品だったので、数千万円ぐらいのものになりました。そこで、初めて彼は少しだけ値引きをし、それらをすべて売りきりました。

9回裏、満塁ホームランという以上の奇跡の大逆転が起こりました。

このような強い信念を持った販売を、後にも先にも、見たことがありません。

私は、100年経っても、こんな真似はできないと思いました。

きっと、このような人物は、大きな仕事を成し遂げる強さを持っているのだろうとその時思いました。
彼は、その後、色石のスペシャリストとなり、世界指折りの色石の最高品質のジュエリーを扱う、香港No.1の偉大なジュエラーになりました。

これらの物語は、単なる成功談ではありません。

ジュエリーという世界を通して、人間の才能、信念、そして努力の素晴らしさを教えてくれる、かけがえのない宝物です。

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